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7月31日に成田を出発、パリ、アンマンを経由して一路バグダッドへ。アンマンからは国連機(写真1)に乗せてもらえることとなったが、各国から支援に向かう人々で一杯。タラップを降りるとすぐに熱砂の嵐に歓迎され、気温も50℃を超えているイラクの大変さをいきなり実感しながら車で移動、窓の外のバグダッドはCPAの警備隊と戦車、ピンポイント攻撃を受けた建物など、戦後の様相。バグダッド市内に入ると渋滞がひどく、停電のため信号機が機能していないからだそう。宿泊するパレスタイン・ホテルの部屋は幸い停電もなく、水もお湯も石油臭いながらちゃんと出る。1ヶ月程前は停電と断水だったというから、復興も徐々に進んでいることがわかる。ホテルの1階ロビーの売店では、フセインの似顔絵入り腕時計が15$で売られていて少しビックリする…
目下のイラクの最大の問題は電力。発電所が完全には機能していないので作業を急がなければならないのと、給水も未解決な大きな問題点。小児病院に行ったところ、電気・水がストップした中、医師は確保できていても医療品等が不足しているとのこと。未熟児で生まれた1000gに満たない赤ちゃんのお母さんの、「この現状を日本に帰って伝えて、そして助けて欲しい」という言葉に胸が詰まる。病気で寝ている子供に出来ることは、団扇で扇いであげることだけという状況で、ベッド脇に置いてあるペットボトル2本の水が切実さを訴えているようだった(水不足のイラクで与えられる水は一人あたりペットボトル1日2本となっている)。UNDPの雇用計画は、夏休みの間学校の教室に電気と黒板を取り付ける作業や、米・英の攻撃時から収集されなくなったゴミを回収する作業(写真2)など、生活に密着したイラク人のための細やかな策がとられている。空き地を子供達のためにサッカー場に変える工事も、UNDPと日本政府の協力で行われており看板には二者に感謝すると書かれている(写真3)。一方フセイン政権下の迎賓館などは豪華なシャンデリア(写真4)にイタリア産総大理石の贅沢さで、このような建物が数十箇所あるというのには唖然とさせられる。集中的に放火を浴びた跡(写真5)は生々しいが、今はここを拠点にCPAや国連関係者が活動中である。
さて、イラクで会談をした相手先は、イラク統治評議会のバルザーニ氏(クルド民主党党首)、タラバーニ氏(クルド愛国同盟党首)、パチャーチ氏(イラク民主独立運動議長)、ハーシミ氏(元外務省国際局次長)、デ・メロ国連特別代表、CPAブレマー代表、ベルカCIC議長、サンチェス司令官であるが、総括するとバグダッド北部のスンニートライアングルといわれる地域は今もなお危険度は高く、それ以外の地域では警察の力で治安維持が可能で、実際にイラク警察の人員募集には何千人もの長い列ができるほど。統治評議会を中心に大臣を任命し省庁を編成、憲法を創案し今年か来年には国民による国会議員選挙も行われるなど、新統治機構の設立はとても早いスピードで進んでいる。また、10月には新通貨もできることから中央銀行の創立や、企業を民間と国営に分ける作業など経済面でも改革がなされ、産油量も現在の120〜160万バーレルから戦前並みの250万まで来年後半には戻るであろうし、そうすると120億ドルの収入になるという予想。
おそらく与党調査団や各政党の調査団が行った頃より、格段に復興は進んでいるだろう。一部地域を除けば、治安維持の必要性ではなく町の秩序回復と物資の輸送、各機構を立ち上げる準備段階での知的貢献が日本に出来る支援のあり方だと思う。しかも復興のスピードが速い分、迅速な支援をすることが重要であるとも思う。戦闘地域や非戦闘地域などの定義に時間を費やす間、国連も含めて各国の支援は着々と進んでいる。PKO議論など、日本が紛争後・戦後に果たす役割と在り方について充実した議論は重要であり、過渡期であるとするならば日本の支援に時間がかかることは仕方ないのかもしれない。しかしながら、イラク復興に対するニーズには、電力・水・医療などと同様に迅速さも含まれると強く感じたのは私だけだったのだろうか…
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